2022.03.17 UP DATE
波乗りカリフォルニア

ここ数日、晴れた日の気温もグッと上がってずいぶんと春めいてきました。私、今週は地形もイマイチでとても小さな波の地元で。
浜に行く途中で久しぶりに出会った、やはり近所の友人は肩を痛めてリハビリしていて、もう1月半も波乗りしてないと。
みなさんの中にも何かしらの怪我や不調を負ってるサーファーもいると思いますが、よくケアをしてこれからのいい季節を楽しめるようにしたいですよね。

そういう私も昨年の後半に痛めた膝はかなり良くなっていますが、それでもまだケアを続けていてここしばらく忙しくしていたこともあり、同じ怪我をしないように気をつけています。
で、海、こちらではもうオール3mmで十分、ブーツもまあ要らないかな。時間帯やお天気の様子でね。
海の中では友人と、波乗りしてないと自分じゃなくなるよねえ、なんて話にもなって、波乗りはライフスタイルじゃなくってライフ。

そんなふうに忙しくしていている間にはテレビも見ない波乗り映像も見ないなんてのが随分長くなってて、思い立ってどれも久しぶりな、いくつかお気に入りのDVDを見返してみました。
今日はその話。


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2本のDVDを取り上げます。
1本は、SPOONS。で、もう1本は、ONE CALIFORNIA DAY。
みなさんもコレクションの中にお持ちでしょう。

SPOONSは少し前のリリースなのでみなさんにもまだまだフレッシュかな。ONE〜の方は私も今回観て、私もアレっと思ったけどもう15年も前のリリース。
いい映像作品はリリースの新しい古いで鮮度に影響されないですね。

それにしてもONE〜は、カリフォルニアのサーフィンに大きく通底する要素を伝える作品として50、60年代から現在にまで通じます。そしてそのような作品としてはもしかしたら最後のものになるのかも、ということも個人的には少しだけ感じました。
ここ数年、いやもっと前からだけど、カリフォルニアのサーフィン文化フィールドがアメリカ経済原理に随分と侵食されてきている様子を見ていると、あのカリフォルニアもカリフォルニアでなくなる時も来ることがあるのか?!、とザワザワもします。
余計なお世話かもしれないけどね、彼らはカウボーイだからね。

このONE〜、南のサンディエゴから北の端のクレセントシティまで、その場所に居るいろいろなサーファーとライフのフッテージをコラージュしています。

この作品を観て、やはりカリフォルニアには現在世界中のサーファーの多くが導かれた道標のようなもののオリジナルの地だということを思いました。
AUSはもちろん、例えばハワイはそれこそサーフィンと一体の生活がどこにでも見られます。カリフォルニアのサーフィン文化から見えるそれはあの土地そのものの独自性をはじめとしていろいろな意味で、またいろいろなベクトルと結果的な表現性などの集合として分厚く、またまさに根ざしている。
そしてあの土地そのもの、空気、天候、植物、それらはカリフォルニア・サーファーのメンタリティ生成や発想や表現性に大きく作用しているだろうなあと、私は昔から思っていたものです。

どこの国や地域でも、サーフィンが流行り廃りとコマーシャリズムが一緒くたになっちゃう場面があるのは同じで、それはカリフォルニアだってゴッチャリ見ることができます。

ただしその一つの流行りなりが去った時に見える、根付いたもの、根ざしたもののありようも根の深さもという話になると、やはりカリフォルニアはとても違う。

ちなみに40年にわたってエムズの基礎になっているカリフォルニアのサーフィンとインダストリーだけど、他の地域でその深さに驚いたのはフランス。
エムズはこの10年、キャリアの中でその基礎を磨き続けながら、並行して日本のベストビルダーと一緒にカリフォルニアやフランスのビルダーとのコラボ製作という夢を実行してきています。
おっ、その話は今日じゃないね。

カリフォルニアのその理由、今日はそれを学者になって分析しようっていう壮大な話でも、今日はない。
ただただ、ちょっと久しぶりにこれらの映像作品を観てみたらあらためて気がついたというか、変化や進化の楽しさやワクワクと同時に、その中には好ましいことばかりではないけれど、おかげでなんだか整理がついて落ち着いた感じ。
むしろ、言ってみればおそらくカリフォルニアかぶれ(ホントはね、ただのかぶれじゃないつもりだけど、そう言ってる)についちゃ日本のサーフインダストリーでは間違ってもトップグループから落ちないだろうという私とエムズだが、私たちとクルーたち、そして我々の提案に反応して楽しんでくれるサーファーたちが、借り物や真似事じゃない独自の文化とライフを深めてきていることに目がいきます。

ONE〜に戻しますね。
観た人は知ってることだけど、ホントにいろいろなサーファーたちが登場しますね。若い子から大長老まで。
JTの誰もを惹きつけるサーフィン、実は計算され尽くしたと言ってもいいくらい高度にロジカルなそのボディコントロールは一時代を作って当たり前の天の才だし、ノストくんのパンキッシュでドタバタしたサーフィンはある意味そのパンク性を好むサーファーが贔屓にしたものの、今改めてあの頃の彼を見てみれば60年代の個性派の精神が違う時代にやってきたというリアリティ。

デーン・パーリーのサンタクルーズ式ハードコアを覆い隠すほどのスムースで抑制の効いたスタイル、作品のナレーションも務めるデボン・ハワードも今の彼に通づるカービング至上の体現。

一面をちょっとシンプルにまとめるとね、個々の登場するサーファーたちは仮に彼らのキャリアのどこかに競技サーフィンがあっても、それを覆い隠して見せないのではなく、その真逆の自分のサーフィンに自分自身を解放しているという様子なのです。
そういうことが起きちゃうってところもまたカリフォルニアだったわけだ。もちろんそういう様子の中にはごく自然な人物性の反映だったり意図的なセルフプロデュースもあったりね。
ちなみにそういう様子は少し遅れて世界中に影響を広めたんですね。しかも伝えるメディアは多少の違いはあっても商業性と無縁ではないので時には貧相なキーワードを使ったりしながらカテゴライズするもんだから、受け取った側には"俺も今日から〇〇"みたいなファッション族を生み出しもします。
一方で本来メンタリティを内に共有する人々には共感という伝わり方をしますね。
面白いのはそういうカリフォルニアはそれがビジネスを後押ししてモノの売れ行きを押し上げることを発見するや否や、次の"仕掛け"をリピートし始めるってのも、これもまたカリフォルニア。

マロイ3兄弟のフッテージでは作品中では数少ないスラスターのサーフィンを見せるが、よく考えりゃおそらく世界の競技サーフィンのボリューム拡大の基地の一つでもあるカリフォルニアの奥行きを見せる作品の中でたったそれだけ。

これはね、作品の作り手がそう考えたとはまったく思いませんが、受けるこちらの我々から見れば、世界に定着してきているオルタナティブな選択の当たり前という切り取りもしてみたい。
というのも、どんなにかぶれようと、憧れようと、それはどこかで洒落程度にしておいて我々のライフを喜びたい。

ところでこのONE〜のトリの幕はというと、VELZYなんです。
デイル・ベルジーとVELZYボードにとても影響を受けたというタイラー・ハジーキャンが語るベルジー、そしてデイルが亡くなった2005年にドヒニーパークで開かれたお別れ会の様子とそこに集まった面々はカリフォルニアの現代サーフィン史そのものと言える顔ぶれ。
もちろん私はその頃はすでにVELZY一家の者ですから末席にて参加しています。
つまりその1日、そこにいたサーファーたちを語ればカリフォルニアのサーフィンを語ることができる、その顔ぶれはこの作品の締めになっています。


一つ小話。これ、以前にもどこかで書いたのですが、私にとってもとても印象深い出来事でしたのでまた話しちゃう。
このドヒニーパークでのお別れ会の最後にオナーサークルのパドルアウトをするのですが(参加したサーファーたちが皆首にレイをかけてパドルアウトして、皆で花のレイをサークルの中に献じて亡き人を送るというセレモニーです)、私と友人はそこに集まったあまりにも多くの人々の数を見て、これはパドルアウトがサークルになるにはすごく時間がかかりそうだね、ということで一番最後の方にパドルアウトしていきました。
予想は当たっていて、サークルはそれまで見たこともないような大きなものになっていて、私たちはそのサークルの手前の方に取り付いたのです。
すでにサークルは4重にも5重にもなっていたのですが、板の上に座って何か気配を感じた私は斜め後ろを振り返るとそこにジョエル君。
彼の地元と昔からの私の行動エリアは同じなので、どこかで軽くは出会っていたのですが特に親しく言葉を交わしたり話したりということは無い。
で、彼は私に握手の手を差し出してきて、私たち無言で握手しました。
デイルさんはいつも何かの集まりとかパーティーなどで色々な人に私を、"こいつが何々で、俺の板日本でやってるからよろしくな"調で皆に紹介してくれていました。
デイルさんが紹介してくれる相手の中にはとんでもないレジェンドもしばしばでしたが、何処かかあるいは何かの時に私を見知っていたかもしれないジョエルが、私がVELZYを大切にしていることを分かってくれているような気がして(私が勝手にそう思っただけとしてもね)とても嬉しかったものです。

そしてこれはまた本当に驚きなのですが、お別れの会とオナーサークルの間を通じて割れていなかった波がサークルが解散して皆がビーチに戻る頃になって急に割れ出した、それも胸くらいはあったな。
もちろん私もそのうちの1本に乗ってビーチへ。

で、もう一つおまけの話があって、私の友人はその朝彼の家を出る時に最初は別の板を持ち出そうとして、おっといけねえ今日はVELZYを持って行かなきゃ、と思い直して彼も所有するVELZY EGGに取り替えた。
サークルからビーチに戻る波にテイクオフしたその友人は、お祭り状態で大勢がテイクオフした波でワイプアウトに巻き込まれて他の誰かのデカい板に轢かれちゃった。
そのEGGにはそいつのデカい板のフィンがグサッと刺さっちゃって友人は、あ〜これ今朝違う板を持って来ようとしてデイルにイタズラされたな〜、とか言ってましたわ。


さてもう1本、SPOONS。
これはもうここ数年のベストでしょう。
副題にサンタバーバラのストーリーとあるように、あの地を代表する偉大な二人とたまたま彼らに共通する同名のデザイン、SPOONをキーワードにしてサンタバーバラという土地とサーフィンというある意味奇跡的な姿。

古くからサンディエゴのインダストリーの世話になっている私は、一方でずっとカリフォルニアでもサンタバーバラは大好きで憧れの地であり、空気。

二人とは、レイノルズ・イエーターとジョージ・グリノー。
SPOON、はレニー・イエーターの名モデルの名であり、同時にグリノーのプログレッシブなニーボード・デザインでもある。作品中では二つの大きさが倍ほども違う板のアウトラインを重ねて見せるシーンがあるけど、あれはむしろ象徴的な扱いとして。

レニー・イエーターさんは私にとってはデイル・ベルジーともつながる名匠で、チャンスがあれば何も言わずに持っておきなさいといえば、それがどういう板かは分かるはず。
その板、イエーター・スプーンは名前が人々の口に上っても優れたデザインのキモがよく説明されているのをあまり見かけないのは手落ちというものです。

そのオリジナルはもちろんロングボード時代のリリースで、サンタバーバラ・サーファーの聖地リンコンの速くて掘れる長い長いピールでのダウンザラインとコントロールを飛躍的に向上させた。
サーフボードがロングボードの時代、ノーズライドへの傾倒が先鋭化する中、リンコンの波でのパフォーマンス・デザインのキーになりモデル名にもなったスプーンのノーズエリアのある種のステップフォイルは、片やノーズライダーでのベンダーにフォーカスしたものではなく、レールフォイルとそのピークポジションによるポジティブなラインのコントロール性。

ところでリッチ・パベルを通じて友人になったレニーさんの倅、ローラン・イエーターは私よりもちょっと若い世代、トム・カレンと同じ世代といえば分かるかな。
トム・カレンがサンタバーバラでどんどん頭角を表して世界のコンペシーンを騒がし始めた頃、ローランはカレンと並ぶ天の才がその地のローカルサーファーたちから注目され評価されていた。
ローランは当時の若さであるにもかかわらず、自身は拡大し始めたコンペ・サーフィンとは距離を置く姿勢を選んだ。
あんまり好きな説明言葉じゃないけど、ローランはその存在もサーフィンも、知る人ぞ知る珠玉そのもの。
本当の知る人ぞ知る、ですから、知らなくて当たり前。
世界や世の中には貴公子と呼ばれるセレブが話題になることあるけど、貴公子とはローランのことと私は思う。
それもそういうものに誰でもちょっとは注ぐ、斜めの見方なんぞカケラも起きない純真な人物。
彼のサーフィンをリンコンで見ることができたら、それはラッキーというもの。

リンコンの波(実際にはベンチュラになるんだけど)はサンタバーバラ・サーファーにとっては宝であり、実際のところ世界でも何本かの指に数える波。
完璧なシェイプ、速さ、距離、どれをとっても(もちろん季節と日による、ね)理想的で夢のような波。だからサーフボードのテストトラックとしても、これもまたベスト。

ジョージ・グリノーさんは早くにオーストラリアに移住したけれど、地元サンタバーバラで見せたアプローチやサーフデザインは多くの影響を周囲にもたらした。
グリノーさんは、何しろその名前がいろんなところでいろんな風に取り出されて、特にここ5年ほどはグリノーの影響が〜、的なセリフはおよそあらゆるところで用いられて、影響受けたと言うのは勝手だからちょっとした利用の仕方がバブルな感じも、ややある。

整理しておきますと、グリノーさんのデザイン・インフルエンスはそれこそ色々な要素にわたっていて、フィンデザイン、ボトムデザイン、ロッカーやアウトライン・デザインの概要、近年ではエッジボード・コンセプト、それにフレックスの働きと関連などなど。
ところでこれはサーフボード・デザイナーと言えるほどのシェイパーやビルダーであれば皆が秀でるところ。

グリノーさんのそれが、この数年なぜこれほどまでに聞かれるか。ひとつにはトレンド(嫌な響きだねえ)側面があり、逆に本質的な要因としてサーフボード・デザインの中でもフォーカスが狭いカテゴリーから解放される動きが一般にも広まっているということがある。
つまりそれ、オルタナティブちゅうセリフが世界に広まったことと密接に関係する。世界中がついこないだまで"ファンボード"ってセリフを言ってたわけじゃの、早い話。

グリノーさんのデザインコンセプトや実験の数々は、それこそ60年代から周囲のサーファーにいろいろな影響を与えるものだったのだけれど、グリノーさん自身はスタンディング・サーフィンに固執せずにニーボードというアプローチでサーフィンを先見的に捉えて実行していたことによって、スタンディング・サーフィンでは困難だった領域をずっと早くに実現することができていたことがデザインの先行性にもなったということです。

先のオリンピックでは(個人的には、?だが)ついにサーフィンがコンテンツに加えられて、またぞろ波乗りとは遠い世間ほどサーフィンとはああいうものということになるんだろうけど、いわば今日のグリノー乗せ的なムーブメントは、単純に見ればやっとこマジョリティがスラスター縛りからちょいと外れ始めたことも見せていて何やら事をややこしくしているかもしれません。
つまり、いやとにかくグリノーなのよ、という調子もいっぱい混ざってる。
そんなふうに魔法のセールスワードとしてあまりにも安易に消費されるのには、時代はちょっと疲れ始めてるんじゃないかなと思っています。

話が散らかってきたけれど、グリノーさんが注目されてきたのは、上でも話したようにスタンディングの枠を取り払ってサーフデザインを追求する道だからこそ、そしてグリノーさんが並外れた探求者だからこそ、ずっと早い時代にイメージと夢に近づき、結果としてデザイン・ソースになったという事です。

もろもろ、あらためて気がつきながら私とエムズが預かる板たちとその作者たち、それに気がついて手にしてくれるサーファーたち、みなさんに感謝して喜んでもらえるようにね、もっとやります。
波乗りカリフォルニアは、そういう感じ。

実はエムズ、今年で40周年。何かしなくちゃって考えてるんですけど、そのうち何か思いつくでしょう。
今年はやっとリッチとも会えるしね、刺激すごいんだろうなあ。
トリスタンも来れるといいぞ。

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