たしか、一つ前のこちらBackdoorのポストでも書いたのですが、エムズは1982年に創業して今年でちょうど40年。
最初からずっとカリフォルニアの板をお届けしてきて、わたし自身もその地のサーフィンとカルチャーと歴史に影響され多くのことを学んで吸収してきました。
そしてだんだんといくつかのブランドの輸入元をまかせていただいて、今ではどれも唯一の存在であるブランドを預かっています。
その時にも書いたのですが、ここ10年ちょっとはそのエムズの基礎にプラス、日本のサーフインダストリーが積み上げてきたトップレベル現場と融合した世界水準の板を加えたショップとして精進しているところです。
そしてその過程で出会ったいろいろな製作者たちの中から、現在ではカリフォルニア・日本のラインナップにオーストラリアとフランスが加わりました。
今日のお題は、日本とフランス(わたしの知るパートナーたちとの、たくさんじゃないけど実体験と印象と想像をごっちゃまぜをベースに)を軸にして日本とヨーロッパとのサーフィンつながりについてです。
日本のサーフィン事情は長い間、海外から届く情報とサーフボードをキャッチしながら日本独自のシーンができてきました。
そしてこの流れは多かれ少なかれ現在も続いています。
日本のそういう経過の中には、何でもかんでもあっちの追っかけみたいな時期があったのも事実です。
わたしとエムズの場合はそういうもろもろを紹介・お届けしながら、追っかけや真似ではなくエムズのお客さんのリアルなライフに溶かし込んでもらえる選択をガイドしようという姿勢です。
近年はエムズがお届けしてきているようなサーフボードたちにオルタナティブという具合のいいセリフ(ちょこっとカラシまぶしてます)が付いて分かりやすくしてくれるようになりましたが、幸いそのオルタナティブはコンペティティブなシーンとの距離があることで、最近では本来サーフィンが持つ個人的な満足と喜びというフォーカスが吸収・反映されるようになりました。
ファッションな要素に目を向けると似たようなことは世界中にあるもので(世界中、行ったわけじゃないが)、たとえば夏の人気ビーチが人で溢れかえったり、どこのビーチにもサーフスクールがいくつもあってスポンジボードをたくさん見かけたり、スラスターにはステッカーとストンプパッドが貼ってあるし、ログと呼び名を変えたロングボードの上ではジャケットのジッパーを開けて歩くのに忙しかったり。
そんな中、エムズでもわたしは、"頼むからウチで買ってくれた板にはステッカーとかパッドとか貼らないでね"から、"そういうの貼らない方がカッコいいんじゃないかな"、くらいには愛想良くできるようになった自覚があります。助言してくれる皆さんのおかげです。
話をちゃんと戻すとね、そういうサーフィンにまつわる、世間の目に入りやすい上辺の様子のおかげで見えにくいのがむしろ幸い、本当に味わいと充実度のあるサーフボードたちは"流行り廃り"の環境変化に巻き込まれません。
ですから、そのようなサーフィンとサーフボードによって自分の楽しみ方を知ったサーファーたちに向けての単なる"次のかぶれ先"としてでは無しに、その日本のサーファーたちの感覚と行き来する文化から見えたり感じたりするシグナルとの親和性の心地よさ。
その具体的な気づきがフランスの製作者とのリレーションをきっかけにして見えました。その例の話。
たまたま昨日、とある業界人との話の中でその話題にもなったところです。
フランスの製作者、というのは他でもないファンタスティック・アシッドのトリスタン・モースなのですが、彼の造る板に惹かれて関心を持ったり、もちろん買ってくれたサーファーたちはその板の機能的なデザイン性・シェイプから始まり、見ただけでも板から発っせられる雰囲気などにストレートな"違い"を見つけてそれをわたしに話してくれます。
ヨーロッパをどこまで広げて話していいのかは、文化学者でもないわたしが制御できるものじゃないとはいえ、きっかけはフランス、そしてスペインやポルトガルやイタリアなど他のラテン語系文化圏(これ、まちがってたら誰かちゃんと教えてくださいよお)は、特にそのような親和性を見つけやすいんじゃないかと発見したつもりになってます。
食べ物も酒も口に合うじゃないですか。もちろん好みはいろいろだけど。
わたし、最初のカリフォルニアからかれこれ45年足を運んでいて、基本は今でもですが色・空気・自然・波・サーフボードとカルチャーみんな好きだけど、今から思えばホントにリラックスできるようになったのは口に合う食事をあちこちに見つけてからです。
もうね、探しまくりました。体に直接入れるものは大事です。
ヨーロッパとサーフィン、日本ではあまり紹介される機会が多くないので意外なほど知られていませんが、ヨーロッパ・サーフィンの歴史は日本同様に世界の中でも長く深い。
特にフランスは良い波に恵まれているだけでなく、際立つ独自文化のその一方で、プログレッシブなアイデアや表現を受け入れて楽しむ様子をいろいろな物事に見ることができます。
特にフレンチバスクと称されるエリアにあるトリスタンの地元ビアリッツは、歴史的にもたくさんのカリフォルニアのサーファーが訪れたり移住した地です。オーストラリアからも少なくない。
それも飛び抜けた存在感や表現性の高いサーファーが多いのです。彼らにとっては彼らの個性や表現性はカリ
フォルニアの、ある面ではコンサバな枠には窮屈だったり発想の自由度に制限があるようです。
カリフォルニアとコンサバ、意外なワードの組み合わせに聞こえるかもしれませんが、自由と無制限なイメージを代表するカリフォルニアは一方でUSの巨大な経済活動原理の代表的な土地ですから、発展をつかさどったある種のフォーミュラが出来上がっているのかもしれません。
またこれも意外かもしれませんが、それはサーフボードデザインとマーケティングにも根本から影響を与えているケースも多く見ます。
ヨーロッパの大国のいくつかは近代の地球世界において、大きく足を伸ばして植民地政策による経済拡大を始めた張本人たちという側面がある一方で、たとえば私たちの日本ではすでに失いつつあるかもしれない、地域のスモールビジネスが現在も多く存在し維持されているだけでなく、そういうもののクオリティがとても高いという様子も見ることができます。
日本もその旧欧米の真似をして武力で富を膨らませる手に出るという、どえらい間違いをしでかした挙句、敗戦を機に自前の歴史的伝来文化の多くを自らが毛嫌いするようにもなる勘違いを冒して、しかもほぼ捨てちゃった。
なんでこんな話書いてるのかわたしも不思議な気分で、実を言うとわたし自身は右も左もない、あえてラディカルに言えば信じていないものは政治業者、ってくらいのもの。
いい歳こいて、未だ勉強中、めんどくさがりだからさぼりながら。というか、やっと最近学び始めたってとこ。
ここからが今日んも本題に近づくんですが、サーフボードには色があります。
もちろんクリアってのも、本道としてありだけど。
わたし、カリフォルニアからベストな板を運んで皆さんに届けて、そして山王ではその色の再現を突き詰めて、その後気付いたのが日本の自然に存在する微妙なニュアンスの色たちの魅力。
そこでトライし始めたのがそのニュアンスを表現した色を、我々が山王で作るPAVELに着せることを始めました。
それらのニュアンスは想像以上に多くのサーファーに喜んでもらえるものになりました。
それだけじゃなくて、そのニュアンスはカリフォルニアの友人たちからも関心をもたれることになりました。
そういうニュアンスは、オルタナティブ(また出ましたよ)にとてもよく似合うってんで、ね。
その後しばらくして出会ったアシッドのトリスタンが見事に表現する色たち、同じ感性じゃないの。
いろいろな話やアイデアや、目を向けるヒントが驚くほど近い。
わたしやわたしの仲間、またトリスタンたち、もちろんフランス人にしても皆が皆同じ感性であるはずもその必要もないのは当たり前として、それでも共有するものをモロに感じる。
日本のサーフシーンは長い間カリフォルニア、そしてオーストラリアやハワイの影響を受け続けてそれらをガイドにしてきて、今でも後追いのままの様子もシーンの中には見られるけれど、一方でライフそのものに昇華しているほどのサーファーと文化も見られるのが今です。
すでにそういう違うサーフ文化との行き来は盛んで、別のアイデアやサーフデザインを生む源流にもなります。
ここでは色を例にして話しました。
で、これからはさらにヨーロッパとのリレーションが加わるのはすごくおもしろいはず。
それはね、単に彼らからの発信を受け取るだけじゃなくて、つまり彼らのプロダクトを受け取るというこちらへのインプットだけじゃなくて、一緒にやるっていうかさ、アウトプットもする。双方向。
そういう流れから出てきたものは、それもきっと楽しいはずです。
私たち、リッチとの板作りを一緒にやっていることで、できるものの充実とできるものの違いを知っています。
だからこれからそのようなヨーロッパの製作者たちやクリエイターたちと、双方向のデザインやアイデアによるプロダクトやプロダクションなんかが発展したら楽しいだろうなって思うんです。
ヨーロッパはなんたっていくつも国境を超えて(空の旅でもね)遠いから、波乗りトリップのデスティネーションとしても身近とは言えなかったけど、これからは違うことになりそうです。
わたし自身も次はビアリッツに行くつもりだけど、行ったこともないのになんだか落ち着きそうな気がして、というよりも確信めいた予感がある。
しかもトリスタンから届く写真は、もう、いい波ばっかり。
アフターコロナ、なんてたぶん無くて、たとえばインフルエンザのように罹ってしまっても対症療法によってその多くは治療することができる、というところまで辿り着くのがおそらく現実的な到達点でしょう。
だってアフターインフルなんて聞いたことないしね。
アフターコロナっていうワードがちょくちょく聞かれるのはつまり、少なくとももう2年以上になる手かせ足かせから解放されて前みたいにやりたいなあ、という気持ちの表れか。
みなさん、たぶんもうすぐですよ。どこかに行きましょうよ。
ムキになって"海外"じゃなくてもいいし、だけどヨーロッパ、気になる。