追悼、ヒンソンさん
2025.02.13

ずいぶん前の写真です、恥ずかしながら私も面をさらしますね。ヒンソンさん、若い。当然、私も。
ヒンソンさんご逝去の報を聞いてから少し経ちますが、追悼を込めて今日のポストを。

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色々なところで書かれていたりするのですごいストーリーを目にしたサーファーもいると思いますが、ヒンソンさんはうんと若い頃からいくつかのいわゆる武勇伝があって強烈な日々もあったそうです。
私もたくさん聞いたそれらの武勇伝は、真偽もある中で私がここで披露することではない。

ヒンソンさん、80年代の半ば以降はロングボードのシェイプにエネルギーをそそぐライフスタイルが戻ってきて、90年過ぎ頃からは日本にも届けられるようになりましたね。

私とエムズもヒンソンさんの板を販売させてもらっていて、お家にも一度だけお邪魔したことがあります。
で、エムズでお客さんのお相手をしていると、いつもちょっと面白い気持ちにさせられたものです。
エムズにある板の中でヒンソンさんの板はショップに訪れた皆さん誰もが眼を向けるタイプではなくて、どちらかと言うとやはりその強い個性に気づいて関心を持つ人が多い。
だからそういう人はその時に一番流行ってる板とかにはあまり気が引かれないというか、ね。

それを私は、ヒンソンさんのシェイプのある種の無骨さ、と心の内では解釈していました。これ、ネガな意味じゃなくて私個人的には最も響くポイントの一つなんです。
つまり、そこんところがかっこいいじゃないか!、ということで。
板、サーフボードにはかっこいいという視点だったり雰囲気が欠かせない。

その私言葉で言う無骨さは、パッと見のところでは近づきやすくはないのでHYNSONボードの入るラックの前で立ち止まる人はそう多くはないといったところに現れたりします。
一般的な話、そういう無骨感は乗りやすそうに見えないとか、乗り味が想像しにくいとかがあるようですが、そこが面白いとこでしてHYNSONボードはその見た目の無骨感に反して実はとても滑らかでしなやかな乗り味なんである。
引きつけないでおいて、勘が良くて手に取ったサーファーは良い思いをする板、って存在としてかっこいい。


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この雰囲気が不思議なもんで、私も60年代のG&Sの古いヒンソン・シェイプは少なからず所有して現在もキープしているものがあるのですが、実はその時代のシェイプは男っぽさプンプンでありながら80年代以降の無骨感とは違う。
いずれにしても私の趣味としては大好きな板たち。

今日、本当は違う写真を紹介して追悼文を書こうと思ったのですが、それが見つからなくて。デジであるはずなんだけど。
その写真はすごいよ。
その当時は私、年に何度もカリフォルニアに赴いていた頃でコロナ禍前まではそうだったから、その時も仕事相手のあちこちのグラスショップ廻りの中でヒンソンさんにオーダーしてあった11フッターのシェイプのその現場にたまたまお邪魔した時なんだけど、そこはヒンソンさんの馴染みとあるグラスファクトリーでシェイプ中。

ただ、そのシェイプしてる場所がすごくて、いつも使うシェイプルームではなくて、なんと廊下!
それも上がったシッピング待ちの板をストックしているラックなんかがあるスペースの廊下、というかそのスペースは普段は上がった板のパッキングするスペースで、確かにシェイプルームよりは余裕がある。

けど、高い天井に普通のライトがあるだけで、シェイプルームのちゃんとした照明とは作業上の利便性が全く違う。
そこにあるパッキング用のウマに載せて、その11フッターをシェイプしてるんである。
そのスペースに11フッターのシェイプダストを盛大にぶん撒きながら。
誰も咎めません、もちろん。

マイク・ヒンソンさん、ワイルドでした。

ひとつ、これも随分前にサーファーズ・ジャーナルの何かの記事で読んだんだけど、時代はおそらく60年代半ばも過ぎた頃だと思うんだけど、ロングボードの時代。トランジション・エラ前。
ヒンソンさんは当時G&Sのトップライダー・シェイパーとしてスキップ・フライと共に2人のスター・サーファー。

?G&Sの親分であるラリー・ゴードンさんが9'くらいの当時としては短い板を作って乗ってみているのをヒンソンさんは、"それ、倫理にもとる"と言ったそうな。選ぶ言葉も、ね。
ヒンソンさんは概ね10フッター界隈のサイズで波乗りするのが常だった頃。
つまりそれは道理に背いてる、と言ったってことでもあるわけで、サンディエゴのサーフボード・インダストリー界の大物である親分に向かって20代半ばくらいの若者が面と向かって早い話、そんな短いの乗ってカッコ悪いでしょ、てなもんだ。

マイク・ヒンソンさん、ワイルドです。