トリスタン、昨年はサーファーズ・ジャーナル・フランスで取り上がられ、今度はSTABMAG。
時々紹介するように、彼はかなり若いうちからサーフボード・ビルダーのキャリアをスタートして、稼いでは世界のいろいろなサーフエリアに出かけて腕を磨いて、彼の特質を象徴するようにキャリアの早いうちにすでに各地で高く評価されてきました。
ですから彼は出向いた先でどこでもすぐにグラスワークの仕事を得ることができます。というよりもトリスタンの仕事を一度見た依頼者は、ぜひいつでも戻って来いよ!、ってなもんだ。
19歳でディスプレイスメント・ハルに出会った彼は、それ以降自身がデザイン・シェイプする板はハルに限ってファンタスティック・アシッドしてるわけです。
彼はまっすぐ言い切りますが、ファンタスティック・アシッド・ハルはアンダーグラウンドなのだ、と。
それだからこそ、わたしたちもハルとアシッドがどのようなサーフィンなのか、説明と販売はちょっとした儀式みたいなもの。
そのアシッド、ハルに通じたサーファーたち、それに近年ではそれまで全くハルと接点がなかったサーファーにもハルの波長をキャッチするサーファーに少しづつ出会う。
それはここ日本もそうだし、フロリダやカリフォルニアやハワイ、彼の地元フランス、ヨーロッパのどこか、最近は台湾も、という感じで。
もともと、彼が言い切る通りにアシッドは数を追うようなサーフボードではない。彼のファクトリー、アトランティック・バイブレーションは仲間達のボード製作の場としてもグラスワークを依頼するブランドたちのためにも仕事を引き受けています。
その仕事の仕組み分けは、ファンタスティック・アシッドを追求しまくるためにグラスショップを運営しているような感じで、言わば世界の名車 F 社がレースをやるために市販車を売るという仕組みみたいなことかな、と言えば相手がデカ過ぎますけど。
まあいい、そんなわけで彼が拡大路線を一切とらなくてもファンとサポーターは増えてきて、1年のスケジュールがなかなか忙しく埋まります。
それでも彼はいい感じに変わらない、かっこいい素敵な人間です。
世界は間違いと問題だらけで、ヨーロッパは現代へと続く歴史上ある部分でその世界の問題の元を作り出したところでもあるけれど、日本が持っていたはずの失いつつある物事や生きる道の小さい単位とサイズのいくつかをうまく維持している部分があるところを見ると、歴史と家族が繋いできた中で獲得できた誠実さとか良きものを選択する一人の市民の姿を見せてもらっていると思ってます、私。
いろいろな人やお客さんと仲良くなって、楽しいのはもちろん、まあとにかく勉強になります。
ヨーロッパの人としては、初めてすごく仲良しになったのがトリスタンですが、いい歳になって楽しい勉強になってます。
それって波乗りだなあ、とか。